〜京都編〜
AM6:49
京都降水確率90%
「コワーキングスペース One Love@京都河原町」で起床だZEッ☆
今日もオーガニックサプリメントとプロテイン飲んで顔張るでぇ〜♫
迷ったらゴー♫
拓語録より
12:49
「スミレcafe@京都小栗栖」にて、デミグラスハンバーグ定食を食べながら1人会議&ノマドワークだZEッ☆
お友達の戸田ゆかりさんがペインターとして人物画の個展を開催だZEッ☆
行く気満々やったけど、調べてみたら交通の便があまりに悪すぎて断念ッ(汗)
めちゃ行きたかったぁー!!
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最近の気になった情報ッ☆
望月さんメルマガより。
↓ ↓ ↓
「優しさ」でしか見えない未来がある。
1)教育者にして反逆者
アドルフ・ライヒヴァイン
1944年10月20日、ナチス支配下のベルリンで一人の男に死刑判決が下りました。
男の名は、アドルフ・ライヒヴァイン。
彼には2つの顔がありました。
1つ目は、国立ドイツ民俗学博物館の誠実なスタッフとしての顔。
もう1つは反ナチスの抵抗グループ「クライザウ・サークル」の中心人物としての顔でした。
しかし、その本分は終生変わることはありませんでした。
【教育者】
2)90年前に体感した本当の教育
国民学校の教師を父に持つライヒヴァインは大学卒業後、自分も同じ道に進みます。
最初の任官先はハレ教育アカデミー。
新しい教師教育を目的に設立された教育機関でした。
彼はアカデミーで経済学の教授になります。
1926年にはドイツの文科省に派遣され、世界中の教育を視察にいきました。
その中には日本もありました。
彼は新しい時代の教育像を見つめていました。
従来の教育は知識を詰め込み、社会や国家への適応力をつけるためのものでした。
しかし、彼は「主体的に考える人間を育てる」こそが教育だと考えるようになりました。
とはいえ、やがてくるナチスの統制下においては
彼の教育観は疑いようない異分子でした。
3)教育という名の抵抗
1933年1月30日ドイツ国首相にヒトラーが任命されました。
まなもなく全権委任法により憲法は効力を失い、ナチスの独裁が始まります。
同年、ライヒヴァインは教授の座を追われることになります。
社会党党員であったことが原因でした。
すでに妻もいた彼には国外への亡命の道もありました。
しかし、彼が選んだのは農村学校の教師の道でした。
ベルリン近郊のティーフェンゼーのたった40人の学校が新しい職場でした。
ライヒヴァインは、そこでとても画期的な試みをします。
上級生が下級生を教える異年齢グループによる助教方式
ナチスの隔離政策に抵抗し障害をもった児童も別け隔てなく同じ教室で学ぶこと
そして、卒業を控えた上級生には2週間自転車で各地を旅させ見聞を広めさせること
知識よりも「体験」と「創作」に重きをおいた「考える人を作る」教育でした。
そして、これこそがライヒヴァインの抵抗運動でした。
学校とは、学童が互いに人格的に密にかかわりあう生命体である。
そして、弱者をいたわり支え合うことが社会連帯的な隣人関係を培うために重要なのだ
当時のナチスの国家教育は真逆でした。
10歳からヒトラーユーゲントとして隔離教育し、国家のための兵士としての錬成をしていたのです。
「学校」「家庭」「教会」といった愛や信頼を育む場所から隔離し、ひたすら国家のために命を捧げる人材を作る。
ライヒヴァインは、この風潮にひそかに抵抗したのです。
とはいえ、事態はますます悪化していきます。
悩んだ末、ライヒヴァインは教師の道を去り、政治的に戦う道を選ぶことになります。
1939年のことです。
彼は別れの寄せ書きの中にこんなメッセージを残しています。
いつもしっかりと、たじろがず、みずから選んだ目標に思いを凝らせ。
真心を指針とし、静けさの中で方向を定めよ。
みずから鍛えた意思こそが君を強くし、ゆるぎなく人生をかたどっていく。
より大きな美徳によってこそ、人生のきびしさが和らげられる。
すべての人間の善意こそが真理をあらわす。
他者の欠点をあげつらわず、できることのみを欲せよ。
4)死の四日前の手紙
1944年7月4日夕方。
ライヒヴァインは秘密警察に逮捕されます。
接触した共産グループのスパイの密告でした。
そこで待っていたのは壮絶な拷問でした。
殴られ、首を締められ声帯を潰されます。
夜は鎖で片方の腕と両足で拘束された状態で寝かされました。
しかしライヒヴァインは決して同志の名前を口にすることはありませんでした。
公判の4日前。
彼は11歳になる長女にこんな手紙を書きます。
機会があったら、いつでも人には親切にしなさい。
助けたり与えたりする必要のある人びとにそうすることが人生でいちばん大事なことなのです。
だんだん強くなり、楽しいこともどんどん増えてきて、いっぱい勉強するようになると、それだけ人びとを助けることができるようになるのです。
これから頑張ってね、
さようなら。
お父さんより
5)「優しさ」でしか見えない未来がある。
1枚の写真が残っています。
1944年10月20日、民族法廷で裁かれるライヒヴァインの姿です。
やつれ果てていますが毅然と前を見つめるその姿は激しく僕らの心を打ちます。
「なぜ学ぶのだろう?」
誰もが一度は持つ疑問です。
たとえ学んでも現実がそれに報いてくれるわけではありません。
学ばず、ただただ目の前のことに適応し流されている人が得していることだっていくらでもあります。
でも、学ぶ人しか手に入らないものがあります。
それが「優しさ」です。
「優しさ」は「人」を「憂う」と書きます。
隣人を、周囲を、社会を我がことのように見つめ思いを馳せること。
「優しさ」はそんな力を僕らに与えてくれます。
「優しさ」でしか見えない未来があります。
「優しさ」でしか気付かない可能性があります。
「優しさ」でしか発揮できない強さがあります。
ライヒヴァインはこんな言葉を残しています。
「子どもを教育するということは、未来に生きるということである」
本日のエピソードは下記の文献・サイトを参考にしました。
「ヒトラーに抵抗した人々」
P.150、162、186、187
2015年 中公新書
著者 對馬 達雄
ライヒヴァインの勇気と優しさの学校:
『ヒトラーに抵抗した人々』
著者・對馬達雄に訊く
https://wired.jp/2016/02/10/tsushima-tatsuo-interview/
ナチスに屈しなかった父親が最後に娘に綴った「人生でいちばん大事なこと」
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/reichwein
ナチズム ・抵抗運動 ・戟後教育
對馬達雄(秋田大学)
file:///C:/Users/dawnr/Downloads/tsushima8%20(1).pdf
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今日も充実した1日やったZEッ!!
おしまい